こんにちは、コンフィー(@ComfyDining)です。
大阪市内がメインのグルメブログ『コンフィーダイニング』を運営しつつ、そこで得たブログ運営のノウハウや知識を当サイト『コンフィーラボ』で発信しています。
さて完全に私事なのですが、10数年ぶりにゲーム機(ニンテンドースイッチ)を買いました。
まさか自分がゲームを買うなんてもう2度と無いと思っていたので、びっくりしました。笑
衝動買いって怖いですね。笑
そしてスイッチの購入にあわせてソフトをいくつか買ったのですが、自分の中で「これだけは絶対に買う!」と決めていたソフトがあります。
それが、タイトルにもある『ピクミン3デラックス』です。
10年以上ぶりのゲームで驚いたのは、圧倒的な画質の綺麗さでした。
画面を見てるだけで楽しいです!
ピクミンといえば、2001年にゲームキューブ版で初めて発売されて以降、定期的に新作が出ているニンテンドーの人気作。
そんなピクミンには、初めて発売された約20年前からずっと言われている説があります。
それが、
「ピクミンってかわいそう。ただ使われて捨てられて、社畜みたい。」
という「ピクミン社畜説」。要するに、「社畜のピクミンは不幸でかわいそう」という考え方です。
ピクミンについて喋ると、必ずと言っても良いくらいこの話題が出てくるかと思います。
そんな不幸な社畜の代表、ピクミンに対して私は以下のような疑問を持ちました。
- ピクミンは本当に不幸なの?
- そしてなぜ不幸だと思われているの?
- ピクミンに幸せはないの?
今回は「ピクミン社畜説」を深掘りしつつ、ピクミンが幸せになる方法を追求しようと思います。
ちなみに、私の考えは「ピクミンは社畜だけど幸せ。(※ただし条件あり。)」です。
ピクミンとは?(世界観について)
『ピクミンシリーズ』は現在4作品がリリースされているのですが、そのどれもがピクミンが住む惑星に主人公が訪れるところから物語が始まります。(トラブルで不時着するのが大体のパターンです。)
そして、ピクミンの力を借りながら自分の惑星に帰るための準備(宇宙船の修理やお宝集めetc)をして、無事に帰ることができればクリアといった流れです。
また、その過程でピクミンをどれだけ増やすことができるかを競うのも楽しみ方の1つです。
実際にプレイして、弱肉強食の自然世界をうまく表現しているなあと感じました!
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ピクミンが社畜と言われる理由
ピクミンが社畜と言われる理由、それは前章で述べた「ピクミンの力を借りる」という部分にあります。
プレイされたことがある方はお分かりかと思いますが、この「ピクミンの力を借りる」という点、実質は「ピクミンを使っている」といっても過言ではありません。
つまりこのゲームは、「ピクミンをいかに上手く使いこなして自分たちの目標を成し遂げるか。」というものです。
そのようなゲーム構造なのでピクミン社畜説(ピクミンは社畜でかわいそう)が出てきました。
さらに、ピクミンのテーマソングである『愛のうた』が社畜精神の塊だったことも影響していると思います。
以下に、『愛のうた』の一節を引用します。
引っこ抜かれて、あなただけについて行く
今日も運ぶ、戦う、増える、そして食べられる
ほったかされて、また会って、投げられて
でも私たちあなたに従い尽くします
『愛のうた』/ストロベリー・フラワー
さらにもう一節。
力合わせて、戦って、食べられて
でも私たちあなたに従い尽くします
立ち向かって、黙って、ついてって
でも私たち愛してくれとは言わないよ
『愛のうた』/ストロベリー・フラワー
な、泣ける…。
※ちなみに、この『愛のうた』のCDはゲームソフトより売れたんだとか。
そんな主人公にどこまでも従順なピクミン。
あまりにも献身的すぎるので「ピクミン側にメリットは?見返りはないの?」という疑問が出てくるかと思います。
実は、あるんです。
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社畜を受け入れるピクミン。なぜなら、その方が幸せだから
ピクミンは、全てを捧げる代わりに「種の保存と繁栄」を主人公に手伝ってもらっています。つまり、生物としての最低限の保証だけを見返りとして受け取っているということです。
たったこれだけを求めてピクミンは主人公に仕えています。それ以外に「○○をして欲しい!」などの要求をすることはありません。
なぜならピクミンには考える能力がないからです。
ピクミンは本能のまま生きているだけなのです。
そんなピクミンにとっては、主人公の好き勝手に使われても生物としての目標である種の保存・繁栄を達成することができるので、たとえ主人公の奴隷となったとしても幸せだと言えます。
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社畜で幸せなはずのピクミンが不幸になるケースも存在します
本能のままに生きるピクミンは社畜だとしても幸せなのですが、例外もあります。
それは「主人公の能力によって、保存・繁栄が叶わないケースがある」ということ。簡単に言うと、ダメな主人公に仕えてしまうとピクミンは不幸になるということです。
つまり、ピクミンが幸せか不幸かは、主人公の能力によって決まるということです。(すべてを他人まかせにしていることが不幸だとも言えますね。)
「じゃあ、ピクミン自身に考える能力があれば有能な主人公が選べてもっと幸せになれるのでは?」という疑問がでてきます。
残念ながら、答えは「No」です。
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もしもピクミンに考える能力があれば、ピクミンは社畜にならない
もしもピクミンに考える能力が備わっていたら、逆にピクミンたちの惑星に訪れた主人公を利用しようとすることでしょう。
きっと、こんな風に。
あらあらどうしたのー?こんな所に。
ふむふむ。
自分たちの惑星に帰りたいけど、飛行船のパーツが無くて困ってる?
そっかー。大変なんだねー。
じゃあ協力してあげるから○○と△△をちょうだい。
あ、あと、□□もやって欲しいな。
それが飲めないなら手伝わないよ。どうする?
ただの妄想でしかありませんが、伝えたいことは「もしピクミンに考える能力があるならそもそも社畜にならない」ということ。社畜としてのピクミンの幸せは、ピクミンに考える能力がないという絶対条件のもとに成立しているということです。
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【まとめ】ピクミンが幸せになる条件
これまで述べてきたピクミンが幸せになる条件をまとめると、以下のようになります。
- 絶対条件→ピクミンに考える能力がないこと(本能のみ)
- +α →主人公の能力
もうお気づきの方もいらっしゃるかと思いますが、この条件はほぼ人間にも当てはめることができます。
※続きは別の記事で解説します。
さいごに
今回の記事は、ブログ運営に関するアレコレをメインに発信しているコンフィーラボからすると少し珍しいタイプの記事になりました。
このような考察系の記事を書くことで、「私は普段こんなことを考えてますよ〜」といった私自身のキャラをお伝えできたかなと思っているので、個人的には満足しています。
ちなみに、普段はこんな記事を書いています。ご興味のある方はぜひご覧ください。
※最後になりますが、本記事の裏テーマは「ブログに書くネタが無いのはただの言い訳。ネタなんてどこにでも転がってる。」でした。
思考停止せずに常に考え続けて、人間ピクミンにならないようにしましょうね!
それでは!